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2008年09月23日

「鉄道」と「電鉄」は違う!?

406e235f.jpg「鉄道」と「電鉄」。全く同じに聞こえますが、じつは「電鉄」は国と民間の戦いから生まれた造語なんです。

その昔、今の阪急阪神ホールディングスは「阪神電気鉄道(阪神)」と「箕面有馬電気軌道(後の阪急)」に分かれていました。

阪神は、日本最古の都市間鉄道を1905年(明治38年)に神戸−大阪間の住宅密集地をつきぬける形で開業させました。

その際、国営の官鉄線(現:東海道本線)と競合する形での営業申請に対し、国は圧力をかけ、私設鉄道法における鉄道の開業認可を与えませんでした。つまり高速で走る汽車を走らせない作戦を取ったのです。

そこで阪神は、この路線の一部に「道路敷設区間=軌道」を設けることで、軌道(要は路面電車)として特許(事実上の営業許可)を取得したのです。

これに対して国は新しい方針を打ち出します。阪神開業翌年の1906年(明治39年)、当時の鉄道省は「主要鉄道国有化」を発表し、翌年から全国にあった鉄道を一気に国有化しはじめたのです。

この頃開業を狙っていた阪急は、この方針が打ち出された1906年、箕面有馬電気鉄道(後に圧力で社名を箕面有馬電気軌道に変更)として軌道の特許を取得しています。もちろん駆け込み申請。それは、大阪梅田から宝塚へ行って2手に分かれ、有馬と西宮に向かうという路線申請でした。今の阪急「宝塚線&今津線」と神戸電鉄「有馬温泉−三田間」です。

その後、彼らは1918年(大正7年)阪神間輸送に参入することを示すため、満を持して社名変更に踏み切りました。その社名こそが「阪神急行電鉄」であり、軌道法では「鉄道と表記させない」という国に対し、「電気鉄道=電鉄」という形で汽車を走らせない意思を明示して逃げたわけです。

1920年(大正9年)、阪急も神戸−大阪間を開業させました。彼らは開業ルートにも圧力をかけられ、山間部を抜けるルートを選定したのですが、そのおかげで山を住宅として開発できたので、その後の事業が大変発達したのはご存知のとおりです。

以後、この手法が各地の私鉄開業に使われました。五島慶太氏が率いた「東急」「小田急」「京急」「京王」に使われたのが有名ですよね。

まあ、昔から国は馬鹿げた圧力を民間企業にかけていたということですかねえ。

ちなみに今も、鉄道事業法による「鉄道」と軌道法による「軌道」が法的には存在しており、鉄道開業は「許可」で廃止は「届出」。軌道開業は「特許」で廃止は「許可」。停車場所の表記も異なり、鉄道は「駅」で軌道は「停留場」です。知らなかったでしょ!

gq1023 at 07:47│Comments(0)

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