2012年11月

2012年11月02日

柳田球審の誤審を認めないのは審判の恥だ

日本ハム田多野投手が投げた普通のボールが危険球と判断されて退場になりました。この場所に投げて危険球になるなら、野球なんてできません。これを危険球と判断する審判がいるなら、その審判を排除しないと野球になりません。

その舞台は日本シリーズですよ。それはありえないでしょ。危険球のコースだったら、バッターボックスにボールが向かわないといけない。でもボールはあきらかにベース方向に向かってるじゃないですか。

そもそも判定はファールだったんです。それを原監督に文句言われてデットボールに変えた上に、危険球でたった8球しか投げてない田多野を退場にした。それがただの審判ならまだしも、あのヤクルトにいた柳田さんですからね。選手の気持ちが分かるなら、もうちょっと考えないといけない。

アメリカでは試合終了後に判定が間違っていたら、審判は誤審だったとはっきり言います。なぜなら誤審は避けられないからです。でも今回の柳田さんは認めてない。

巨人の加藤も、この大舞台で一杯食わせる演技をしたのは反省すべきだと思うのです。スポーツマンシップに則らない行動でしょ。せっかくの大舞台だけに、こんな茶番劇だけは二度とやって欲しくないと、心から思います。

gq1023 at 09:09|Permalink

2012年11月01日

新しい校舎の学校はダメ

3d31577a.png学校を選ぶとき、当たり前ですが新しい校舎の学校を選んではダメです。そこには勉強の神様が宿ってない。学問の魂がまだ込められていないのです。

東京大学・慶応大学・早稲田大学でも同じ。やはり昔ながらの校舎には、その歴史を無言のままに伝えてくる、言いようのない雰囲気があります。明治大学のリバティタワーに行ってみればわかります。あの高層ビルからは、本当に歴史の重みを感じられません。

日本人は歴史ある建物がない中で暮らしているので、その価値が分からない。ヨーロッパなんて建設から200年以上経つ建物が町中にあるので、その価値は十分に理解されてますが、日本は「新しいものが良い」という薄っぺらい価値観しか植えつけられてない。

学校の耐震化工事というと、すぐ修復と建て替えの見積りをとって、どちらか安いほうに流れちゃう。でもそこで、建て替えになっちゃうと、学問の神様は逃げていってしまう。新しいことは決して良いことではないのです。

私は小学校・中学校は昔ながらの建物の学校でした。ところが高校で埋立地にある築8年の学校に通ったんです。いやーペラペラの感じがしましたよ。生徒会長でしたが、学校の中にバイクとめて、学校の廊下でスケボーやってましたからね。やっちゃいけない感じがしないんです。

歴史と言うのは簡単に作り出せるものではありません。その値打ちは無限大です。東京駅を見ればわかりますよね。どんなに八重洲口が綺麗になっても、東京駅は丸の内ってイメージがあるじゃないですか。

箱物行政やってる政治家や自治体の人々は分からないと思いますが、学校という所には新しいものをできるだけ入れないようにするべきだと思います。

gq1023 at 07:37|Permalink